子犬属性の自分を活かそうとハウスメーカーへ
ータクミテーブルを立ち上げるまでにいろんな紆余曲折があったと思うのですが、やっぱりハウスメーカー時代のことが今にも大きく活かされていますか?
それはもう間違いないですね。学生時代までは設計士も視野に入れていたんですが、やっぱり元々の性格が子犬みたいに「人間、大好き!」って尻尾ブンブン振っちゃうので(笑)、営業が性分に合ってるだろうなという感じでハウスメーカーの営業として長く頑張っていました。その時に「せっかく建築学科出身なら」ということで、建築士2級を取得しました。
ハウスメーカーで成績も経験も納得できるところまでいったので、「もっと他の業界も見てみたい」と思って独立に至った、という流れですね。
ー営業としてかなり成績優秀だったと聞いているので、周囲の皆さんは残念がったんじゃないですか?
ハウスメーカーを辞める時には、お客さんはもちろん、関わりのあったすべての皆さんにご挨拶をしたんですが、きっと怒られると覚悟してたんです。「なんで辞めるんだ!」と。でも、独立したい気持ちなどを伝えると、皆さんがとても応援してくれたことが強く印象に残っています。「僕は本当に人に恵まれていたんだなあ」と改めて深い感謝を覚えました。
独立ってやっぱりそう甘いことばかりじゃないので、学生時代も含めて僕は人にどれだけ恵まれていたか、助けられて生きてきたのかを余計に痛感しました。
ー尻尾ブンブン振ってる若い加納さんに対して、お客さん達も親戚気分で可愛がる気持ちが大きかったのかもしれないですね。
本当にそれは今になって日を増すごとに感じます。当時の僕は自分の実力で契約件数が伸びているんだ!すごいぞ自分!としか思っていませんでしたが、真実はきっと違っていて、あんな若造の、実績も知識も少ない自分にお客さんたちが「加納くんにお願いするよ」って仰ってくださった気持ちって、きっと「やってみな!」という応援の気持ちが大きかったんだろうなと今は分かります。
そういう「出会い運」みたいなものに自分はとても恵まれているんだ、と今でもそこは自信を持って言えますね。
料理人から曾祖父に憧れのスイッチング
ー幼少期から尻尾ブンブンだったんですか?
そうですね~あんまり変わってないかなと思います。思春期で羞恥心みたいなものは多少生まれましたが、でもやっぱり友達が大好きで、イベントで盛り上がるのが大好きで、先生たちとも仲良く楽しくやってましたね。
うちは両親が家を空けることが多かったので、割と早い歳から僕が主に料理を担当していまして。その頃から料理が好きでしたね。結婚した今も休みの日はよく作ります。趣味に近い感覚なので、料理は僕にとって気分転換・ストレス発散みたいなものです。男の一品料理!みたいな感じですけど、好評です(笑)。料理人になるのもいいなあ、なんて思ってた時期もあったくらいですので。
ー友達と先生とイベントで盛り上がるって、青春を思いきり楽しんだ10代だった感じですね。
いわゆる「目立ちたがり屋」ってやつだと思います(笑)。みんなの前で面白いことやるの大好きでしたし、それをみんなで共有して共感して爆笑し合ってるっていうのが最高に好きでした。だから体育祭の応援合戦とか、合唱コンクールの指揮者とか、文化祭の責任者とか、部活の部長とか、もうあらゆる「代表者」を経験しましたよ(笑)。
自分がやったら盛り上がることも分かってたし、周囲の友達も「拓がやるのがいいよ」という空気でした。やっぱりそこでも「出会い運」が相当強かったんだなぁと思います。いい奴らばっかりでしたね~。
ー10代で既に各代表を経験済み!そして今も。さきほど料理人になりたい時期もあった、ということでしたが、そこから建築系に舵が切り替わった理由は?
うちのひいおじいちゃんの自慢が、「フランク・ロイド・ライトと一緒に仕事をしたことがある!」だったそうなんですよ。フランク・ロイド・ライトといえば東京の2代目帝国ホテルが最も有名かなと思いますが(現在は犬山市にある明治村に移築)、そこもひいおじいちゃんが携わってたそうなんですよね。それを聞かされて育って、「すごい!こんなものをうちのひいおじいちゃんが…!建築士、かっこいい!」という思いが根底にあったんだと思います。
今は建物ではなくてエクステリア専門になりましたが、「人の暮らしを美しく彩って豊かにするものを作っているんだ」という喜びをいつも感じながら仕事をしています。
富山県の絶滅寸前の文化を受け継ぐ男
ーイベントの盛り上げ役だった青春時代ということでしたが、学校以外でもなにやら地域のお祭りの盛り上げ役だったそうですね。
地元の富山県高岡市のお祭りですね。いわゆる「何百年も続く伝統のお祭り」みたいなものです。富山県ってやっぱり加賀藩の文化がいまだに色濃く残っていて、そのお祭りも前田家が領地の農民を強く育てようという思いがあって誕生した背景があるとかで(諸説あり)。
仕えていた豊臣に謀反を疑われてはいけないから表立って富国強兵はできないけど、「これはお祭りの稽古です」と言えば疑われなくて済む。それで獅子舞を使った剣舞を見せるというお祭りが誕生したと聞いています(諸説あり)。
ーその踊りを継承できる人ってひと握りなんだとか?
そうなんですよ。暴れ回る獅子を、腕の立つ勇者が薙刀や太刀で退治するというストーリーを踊りで見せるんですが、獅子舞を操るほうも、薙刀や刀でそれを倒すほうも独特な動きをするんです。一朝一夕でできるものではないので、幼少期からお稽古に出たり、踊りに必要な体の使い方が得意じゃないとできない部分があったりしますので、この踊りを継承できる人はとても限られています。
踊りの演目も全部で10種類くらいあって、それを全部覚えて踊りこなさなきゃいけないですし。そうなると踊りの担い手はもう数年に一人とか十数年に一人とかしか育たないんですよね。センスもあって稽古も積んできたのに、就職や転職で地元を離れてしまう人もいますし。
ーそれが加納さんですか?
そういうことになります(笑)。でも僕は大学から名古屋に出てきましたけど、せっかく名誉な役割を与えてもらったので、名古屋に住むようになってからもお祭りのある9月には地元にちゃんと帰ってしっかり盛り上げてましたよ!
そういう仕事があるから地元に帰る目的がしっかりありますし、大好きな友達に会えることも大きな楽しみでした。社会人になってからの友達と、利害関係の全く無かった頃の幼なじみたちとは、また全然違った安らぎがありますよね。
ーでは今も毎年9月には帰省して踊りまくっているんですか?
いや、実はそのお祭りも数年前に中止になってしまって…。やっぱり田舎なので、過疎化で踊りの担い手もいないし、お祭りの実行委員会となっている青年団もずいぶんと年齢層が上がって人数も減って。他の地域ではコロナが明けて再開しているところもありますが、うちの町内は人手も資金も足りないみたいです。
あとは今の子って習い事もたくさんしてて忙しいし、地域に根付いたこういうイベントに積極的に参加しよう!という考え方のご家庭も少なくなってるとか、いろんな背景があるみたいですね。
大袈裟かもしれないですが、無形文化財的な側面もあるので、もったいないなという気持ちもあるんですけどね。僕の大切な青春の思い出です。
生成AIへ期待!次世代としてエクステリア業界の発展に臨む
ーいろいろな想いを抱えてタクミテーブルを立ち上げた加納さんですが、いま描いている構想などありますか?
ハウスメーカーを退職してからIT関連にも少し携わっていた身としては、生成AIや3Dプリンターに非常に期待しています。
建築業界ってIT化が遅れているんですよね。今ようやく施工管理アプリみたいなものが登場していますが、そういうのをしっかり使いこなせている工事会社なんてまだまだ少数派ですし。図面を描くにもCAD(キャド)(図面作成ソフト) が使える人を雇っていないと、外部発注しないといけませんし。
それが生成AIで簡単に誰でも基本の図面が作れる状況になれば人件費も節約できますし、3Dプリンターがもっと発達・普及すれば更に低コスト化が可能になります。つまり、お客様の予算をもっと有効に使えるようになります。
ー人間が減り、家が余っていく時代を迎えるいま、IT技術でカバーできることはいろいろありそうですね。
住宅業界は斜陽産業だなんていう声も聞きますが、僕はむしろ成長産業だと考えています。大SNS時代を迎えて、インスタを利用して「理想の家」を探す人が非常に増えていて、「家の見た目」の重要性もどんどん上がっています。それを受けて、エクステリア建材を作っている各メーカーさんもデザイン性・機能性の追求に余念がありません。それらの魅力を僕たちが最大限に引き出し、「オシャレでかっこよくて、使い勝手がいい家」というニーズをしっかり拾っていきたいと思っています。
それってIT業界を知っている僕だからこそできることもきっとあると思います。エクステリア業界では僕より上の年代の方々が圧倒的に多いので、この業界で僕はまだ若手のほうに入るんですが、次世代として新しい技術や知識をどんどん採り入れて、セカンドウェーブを起こしていきたいですね。